1954年に洋画専門映画館として開業し、1971年5月に現在の場所に移転、2012年からは単館系ミニシアターとして営業されていて、愛知県で現在営業している映画館では一番歴史があり、16mmフィルムで撮られた映画が似合う映画館である。
スクリーン右手のカーテンを入るとトイレの扉があり、ロビーではなく劇場内にトイレがある映画館は他には知らないし、ミニシアターにはそれぞれ特徴があって、何処に行っても同じシネコンとはひと味違う。
先日、名古屋のミニシアターの老舗である名演小劇場が3月23日をもって映画上映活動の暫時休止を発表されたが、コロナ禍による客数の減少、施設の老朽化、電気代の高騰などによってとのことで、大抵のミニシアターもそれらは当てはまるだろうし、何処も経営は大変であろう。
映画の中でもケイコが通う荒川ボクシングジムもコロナ禍の影響と後継者問題から閉めることになるのだが、ミニシアターと重ねて観てしまう。
荒川ボクシングジムは二代目で閉めてしまうが、刈谷日劇は2019年に三代目に引き継がれており、銭湯の番台みたいにスクリーン1と2の間に受付があるのだが、以前はチケットも整理券もなく、もちろん予約などできず、開場してから受付で料金を支払って入場するシステムだったところ、三代目になってオンライン予約もできるようになった。
予約した席には「座席指定済み」のカードが置かれていて、ドリンクホルダーのない昔ながらの座席も趣があり、座り心地も好きである。
1945年に会長のお父さんが開業して日本で一番古いという荒川ボクシングジムと同じ匂いがする。
ろう者であるということで何処もケイコを引き受けてくれない中、会長が頭を下げて引き受けてくれることになった五島ボクシングジムを訪れたケイコは「うちの事務で面倒を見させて」という五島会長の言葉に筆談で「むずかしいです」「家から遠いです」と答える。
家から遠いのは行く前から分かっているはずだし、そんな理由で断ることも考え難く、実際に行ってみて高層ビルが立ち並ぶ都会の近代的ジムに違和感を持ち、そこで練習する自分の姿が描けなかったのだろう。
以前、試合の録画を見ているときに「正直やな」と言った林トレーナーの言葉が頭の中でリフレインする。
トレーニング日記にジムを閉めることを「受け入れ難い」「許せない」と書いたのは会長との思い出や血と汗と涙が滲んでいる荒川ボクシングジム以外に自分の居場所はないと思っていたからであろう。