2024.7.24 伏見ミリオン座
『ルックバック』『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』
監督・脚本:押山清高 原作:藤本タツキ
藤本タツキ先生の原作漫画のアニメ映画化で、原作は未読。
上映時間58分、濃厚にして一瞬たりともスクリーンから目が離せない傑作。
この日は2回目の鑑賞で、前回鑑賞したイオンシネマ長久手でもパンフレットが売り切れていて、伏見ミリオン座ではグッズもすべて完売。
パンフレットは再入荷があるそうだ。
漫画家を目指す藤野とその背中を追う京本。
このふたりの姿は漫画家に限らず、クリエーターやアスリート、延いては何かに打ち込んでいるすべての人に通じる。
時間を掛けて必死に描き上げている4年生の学年新聞の4コマ漫画をクラスメイトから絶賛され、5分で描き上げたと自慢気に話す藤野だが、引きこもりで学校に来ていない京本の4コマ漫画を目にして、圧倒的な画力に愕然とする。
京本の画力に負けまいと何十冊もスケッチブックにデッサンを描き続けるが、6年生の時に追いつけないと挫折し、そんな折に卒業証書を渡すために京本の家を訪れ廊下に積み上げられた自分を超える数のスケッチブックを目にする。
片や扉の外の世界を知らない京本の4コマ漫画には人物やストーリーらしきものはなく、自分にないものを持っている藤野を「藤野先生」と敬い、追いつけないと思っていた京本が自分の漫画の一番の理解者であり、自分を慕っていることを知り歓喜する藤野。
漫画を描くのは地味で孤独だし根気も必要で身を削るような作業と言えるが、読み手はパラパラとあっという間に読み終わる。
「描くのは好きじゃない」と言う藤野に対して「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いているの?」と京本は問う。
なぜ楽器を演奏しているのか?なぜ彫刻を彫っているのか?なぜマラソンを走っているのか?
その答えは人それぞれだろうが、藤野の答えがスクリーンに映しだされて涙が止まらない。
例えば女子体操選手の場合、数え切れないほど平均台から落ち、跳馬のロイター板を踏み、平行棒で手の皮が剥け、挫折し、絶望し、苦悩し、歓喜し、日々研鑽を積んでいることは想像に難くない。
彼女はなぜ体操をしているのか?
そんな彼女がオリンピック出場の切符を手にして、喫煙と飲酒で辞退することになっても、自業自得とか当然の報いとか言うことはできないし言う必要もない。
「ルールはルール」という杓子定規の薄っぺらい正義感を振りかざして他人を攻撃する日本人の多さには驚かされる。
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』
嫌われ者の堅物教師ハナム、家庭に難ありの問題児アンガス、ベトナム戦争で息子を亡くした料理長メアリー、それぞれに孤独で、心に傷を負っている3人が、それぞれの事情でクリスマス休暇を一緒に学校で過ごすことになる。
それぞれにクセがあり、反発しあうが思いやりは持っている。
「逆境は人格を形成する」という自らの言葉の通り、ハナムはアンガスの逆境に於いて自分は何ができるのかを考え、それは教師からの最高の教えであり、これを生徒はしっかりと受け止め、お互いの人格形成となる。
翻って、先日の日本体操協会の記者会見は何?
未成年者喫煙禁止法は未成年者を保護するために制定されており、未成年者には罰則は無く、親権者や監督者、タバコを販売した者に罰則が科される。
会長は責任を取って辞任した上で、選手は出場させると言えないものか。
ハナムがクリスマスプレゼントで二人に渡し、段ボール箱にごっそりストックしていたマルクス・アウレーリウスの『自省録』。
その中の有名な一節。
「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。」
ネットで他人を中傷する暇があったら、大谷選手は野球に打ち込むだろうし、藤井七冠は将棋の研鑽を積むだろうし、藤野と京本は漫画を書き続けるだろう。