necojazz’s diary

ジャズを中心に雑食

夜明けのすべて



2024.2.15 イオンシネマ長久手

『夜明けのすべて』

 

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2022年映画マイベストテン1位にして、劇場に10回足を運ばせていただいた『ケイコ 目を澄ませて』の三宅唱監督の新作となれば、それだけで観ないわけにはいかない。

なので、予告編を観る必要もなく、予備知識なしで鑑賞した。

 


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タイトルとポスターから恋愛映画だと疑わなかったが、恋愛果汁はウィルキンソンタンサングレープフルーツくらい。

つまり、無果汁。

だけどほんのりと甘い。

パニック障害PMS(月経前症候群)によって生きづらさを感じながら日々を過ごしているふたりを中心に、その周りの人々との何気ない日常を描いている。

パニック障害については電車に乗れないなど何となく聞いたことがある程度で、さっきまで何ともなかったに突然発症することも知らなかったし、PMSのことは初めて知った。

 

 

ケイコの時もそうだったが、三宅監督は体や心に障がいを抱えている人々にスポットを当てながらも同情の目線ではなく、それを誰しも持っている生きづらさのひとつとしていて、その目線はやさしさである。

今回も16mmフィルムで撮られていて、デジタルでは撮れないやさしさとあたたかさは劇場の大きなスクリーンで鑑賞していただきたい。

 

 

どう見ても恋愛映画のパンフレットだろう。

この中にある主演の上白石萌音さんと原作者の瀬尾まいこさんとの対談での「両方を読んで、観て、やっと完結するという感じがします、私は。」との上白石さんの言葉に釣られた訳ではないが、小説も読みたくなった。

写真のシーンは劇場でもクスリと笑いが起きていたが、小説ではその上を行っていて涙が出るほど可笑しく、その涙には別の感情も混じっていた。

 

 

ラストシーンをはじめ所々で小説と映画が違うのは表現方法が違うため当然の成り行きだと思うのだが、その際に最優先されるのはもちろん原作者の意向である。

主人公のふたりが働く会社が「栗田金属」が「栗田科学」になっていて、原作にはないプラネタリウムのシーンについて、瀬尾さんはその設定を最初に聞かれたときにはドラマティックになり過ぎないかと思われたそうだが、観ていてすごく心地よく自分が書いたエピソードではないけどこの世界は知っていると感じられたそうだ。

瀬尾さんご本人もパニック障害を発症されたそうで、映画では説明くさくなってしまうところを、小説では実体験をもとに症状や辛さが事細かに書かれていて、ふたりの辛さをしっかり理解した上でまた鑑賞したいと思う。

小説の恋愛果汁はファンタピンクグレープフルーツ。

確かに、観て、読んで、完結した。

 

 

原作小説と映画の表現の違いが顕著な作品として思い浮かぶのは松本清張氏の小説を野村芳太郎監督が映像化した邦画史上不朽の名作と言われる『砂の器』。

 


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ミステリーでは重要な謎解きの部分をざっくりとカットし、上下巻併せて800ページを超える長編の中でたった数行しか書かれていない父と子の乞食お遍路のシーンが壮大なオーケストラをバックに延々と続く。

小説を映像化するに当たって一番必要なのはお互いの信頼関係で、人間が背負った宿命と癩病への差別と偏見という清張氏が伝えたかった物語の骨子は見事に映像化されていた。

 

夜明け前の空がもっとも暗い。

自分の宿運を受け止められたふたりに夜明けのやさしい光が降り注ぐ。

ふたりの信頼関係は一生続いていくのだろう。

この作品に出合えて良かった。