5.25 シネマスコーレ
5.31 ナゴヤキネマ・ノイ
濱口竜介監督 『悪は存在しない』
コロナ禍に於いて、休業要請・時短要請等、要請の対象とされたシネコンのような大規模な映画館は協力金を受け取ることができた(その金額は休業を補償するには全く不十分だったとはいえ)が、協力依頼・働きかけがなされたミニシアターには休業や時短に協力しても協力金が支払われることはなかった。
曖昧な線引きによって窮地に陥ったミニシアターへの支援の為、濱口竜介監督と深田晃司監督がクラウドファンディングの発起人となり反響を呼んだ「ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金」。
全国のミニシアターは金銭的な面はもちろん、精神的にも助けられたことだろう。
これまでに世界3大映画祭の2つカンヌ、ベルリンに加えアカデミー賞の国際長編映画賞を受賞し、ミニシアターの集客に大いに貢献している本作で世界3大映画祭で1つ残っていたベネツィアでも銀獅子賞の栄誉に輝いた。
世界3大映画祭すべてでの受賞は、日本人では黒澤明監督に次いで二人目の快挙であり、もっと大きな話題になってもいいと思うのだが。
『悪は存在しない』と同じ映像素材から生まれたもうひとつの作品『GIFT』。
こちらは『ドライブ・マイ・カー』の音楽を担当された石橋英子さんのライブ用サイレント映像で、まず石橋さんからの依頼があって映画にもしようということになったらしい。
冒頭の映像と音楽の融合に意識はスクリーンの中へ。
そのまま物語に引き込まれて行った。
長野県水挽町という架空の町が舞台になっていて、撮影は主に長野県の富士見町と原村で行われており、富士見町は3年前に『Trio Zero』のライブへ行く途中に立ち寄り、原村は昨年『Manna&mana』のライブに行ったところである。
高龍寺での写真が映画のシーンと似てる?
原村は八ヶ岳の西麗に位置する日本のペンション発祥の地で、映画の設定と同じく移住者が多い地域であり、会場となった Studio R がある原村ペンションビレッジは周囲の自然とも調和した人気の観光エリアである。
映画ではコロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府からの補助金を得てグランピング場建設の計画をするのだが、期限ありきの計画は森の環境や町の水源を汚しかねないずさんなもので住民の反発を受け、当時の協力金や補助金のあり方を皮肉ったようにも思える設定である。
ここで普通ならば住民が正義で芸能事務所が悪という図式が成り立つのだが、町の便利屋として一人娘(花)と暮らす主人公(巧)の素性は明かされず、しかも何を考えているのか分からない不穏さがあるのに対し、住民と社長やコンサルタントとの間で板ばさみになっている芸能事務所の高橋と黛のとりとめのない本音トークにぐっと親近感が沸き、シンパシーを感じてしまう。
コロナ禍に於いて助成金の支給が無かったことは、芸能事務所はミニシアターと同様である。
驚愕のラストシーンでは回し蹴りを喰らったかの如く予期せぬ方向からの衝撃に一体全体何が起きたのかと呆気にとられた。
巧の伏線的な話しと繋がる映像だが、巧はなぜあの行動をとったのか?花ちゃんはどうなったのか?どの様に解釈すべきか。
しかも素人の身のこなしではない。
パンフレットを読み込むもラストシーンについては何も触れておらず、自分の腑に落ちるまで観て欲しいという無言のメッセージなのだろう。
なので5月25日シネマスコーレにて2回目の鑑賞。
次いで5月31日にナゴヤキネマ・ノイにて3回目の鑑賞。
やはり巧の行動には理論的な解釈は見つからず、本能的な行動としか思えないが、戦場などの極限状態では人間の理性は崩壊し、動物と人間の境界線も曖昧になっていく。
巧の伏線的な語りは鹿の本能についてであり、全ての動物は本能を備えていて、その出現を自分の意思ではコントロールできない。
そこに悪は存在しない。
これまでの濱口作品以上に観た者に委ねる部分が多く、おそらく正解は存在しないのだろう。
巧は元グリーンベレーだったりして。